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執筆者の写真SATSUKI DESIGN OFFICE

「Because I am a Girl」/私にできること


今日は、終戦記念日ですね。

今年の2月に亡くなった私の祖母は、青春時代、戦争の真っただ中でした。

「私には青春がなかった」と言いながらよく戦争の話をしてくれたのですが、今はもう、私の周りには戦争を語ってくれる人はいません。

日本に住んでいると戦争なんて過去のできごとで、自分には全く関係のないことだと感じます。

でも、アラブにいくと、戦争はリアルでした。

私がチュニジアにいたのは、もうずいぶん前の話なので、チュニジアもシリアもヨルダンも個人でふらっと渡航できる国でした。それでも、チュニジアにいたら内戦を逃れてやってきたアルジェリア難民に出会います。皆、死んだ目をしていて、子どもも何も話しません。泣いたり、笑ったりもしません。心を閉ざすってこういうことなんだな、とあの頃、現実を目の当たりにして、何もできない自分に、悲しくなりました。アラビア語が話せても、裕福な日本人でも、私には何もできない。

ふらっと訪ねたシリアでは、軍隊が等間隔に町に並んでいて、皆、長い大きな銃を持っていました。遠くから聞こえる大砲や銃声の音。路地に入れば、シリア人に外貨に換えてくれと懇願され、このせっぱつまった悲壮感は何なのか。女性は全身黒の布を纏い、顔すら見えない。話しかけても何も返してくれない。なのに、女子トイレに入ると途端、みんな、ベールを取って、ワイワイ話してくれるのです。「あんた、どこから来たの?」なんて、方言で話をきゃぴきゃぴしてくれます。でも、女子トイレから出た瞬間から、何も話をしてくれない。一体、何がどうなっているのか。この国の女性は、何を強いられているのか。この人たちの幸せとは何か。なんの答えも出せませんでした。

今、シリアは悲惨です。多くの人は知らないと思いますが、私のFBのタイムラインには、血まみれの子どもの映像が流れています。毎日、毎日、今もなお、戦争でたくさんの人が死んでいます。

暴力では何も解決しないのに。なぜ、わからないのだろう。

なぜ、こんなにもバカなのだろう。

私は、会社を辞める時にある人に、アラブの戦争を止めることはできないのか?と聞いたことがあり、その人は、どういうアプローチが適切なのか、本当にわからない問題だよねと言っていました。

チュニジアの「アラブの春」は衝撃的、かつ、画期的だったけど、それをしたことによって今、こんなことになっています。果たして、あれをすべきだったのか。とても悩ましい。そして、じゃあどういうことをすべきか、ものすごく難しい。あそこには、独特の文化と習慣があり、何が正しいのか混乱する。

あれから、20年近くたってしまったけど、今なお、私は何をしたらいいのかわからない。

だけど、数年前から、ひとつ続けていることがあります。

プラン・インターナショナルというNGOがあって、そこに毎月寄付をしています。

色々考えた結果、今の私にできることは、コツコツと少額だけど寄付することしかないなーと思って探した団体です。

「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない」

きっかけは、心に響くこのキャッチでした。

女の子だから、教育を受けなくていい。

女の子だから、食べなくていい。

女の子だから殺してしまおう。

これは、何も発展途上国やアラブの話だけではない。私も「女だから~」って言われて育ち、社会人になっても、女だから~って言われることがあります。こういうことは、娘が大きくなったときには消え失せてほしいと願い、始めました。

今は、シリアの難民の子どもたちへの教育支援もあって、それにもわずかですが支援しています。

「デザインで世界中の人にハッピーを」というスローガンを抱え、起業しましたが、こういう思いもあり、私にできることは、デザインで子どもたちを含め、大人も子どもも男性も女性もすべて幸せにすることだなと考えています。いつか、ゴールに到達することを信じて。

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写真は、私が、二十歳のころパルミラの遺跡に行ったときのものです。

きっと、もうこれは存在しない。すべて、戦争で破壊されてしまいました。

素晴らしい遺跡だったのに、この舞台でくるくると踊って、歌ってたあの頃が懐かしい。



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